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歩くひと_ヒロクレ日記

旅した土地の思いで 子どもと暮らす 日々雑記

PROJETO KAERU

今日は、ひょんなことから同僚の関わるかえるプロジェクトの会合に。

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州立校に通う生徒を対象にしたプロジェクトの目的は、日本から来る、または戻ってくるデカセギ子弟や両親が日本で働いている子弟を、心理面や教育面から支援しようというもの」(ニッケイ新聞より)。「かえる」に「帰る」「変える」が掛かっている。

「日本語もポルトガル語も不自由で、不登校、犯罪、精神障害に陥る子ども達」、「本来、公教育は、国の支援の元でなされるべきだが、日本の支援もブラジルの支援も皆無」、「日本語やポルトガル語の再教育をし、日伯の架け橋に」などという話が。

猿蟹合戦で、目先の利益(おにぎり)を追い、友人を作らない猿は敗れ、未来への投資(柿の種)をし、友人を持っていた蟹は繁栄する。友だちの少ない子どもで、来るかどうかもわからない未来のために現在我慢するというのがきらいだった私は、つい猿に感情移入してしまうのだが、果たして日本はどちらになるのだろうか。

また、日本やブラジルだけに限らず、ニッケイ新聞に「かえるプロジェクトが将来的に他の国の外国籍の生徒にも応用できる一つのモデルになると考えている。」と書かれるように、二国間、あるいは二つの文化の間で溺れている子供たちにどのような手をさしのべることができるか、ということでもある。溺れている子をうまく救い出すことができれば、二つの文化を持つ子、としてこちらも教わることが多い存在になるだろう。ハーフと呼ぶかダブルと呼ぶか、という姿勢にもつながること。やはり多様な価値観を許容できる社会の方が、自分が排除される可能性が少ない、という意味で、さまざまな人間にとって暮らしやすい社会になるだろうから。

会合で出会った、移民2世で、浜松在住20年、昨年こちらに帰ってきたというおばあさんの、「日本に帰りたいねぇ」というつぶやきと、「こういうプロジェクトに来る子どもはまだいい。来ない子どもをどうするかだ」「教育の前に親の生活の基盤が成り立っていない。家族も壊れて来ていることが多い。でもそれはこちらではどうすることもできない」という同僚の言葉が、いつまでも胸に響く。

追加:昨夜思いつつままに書いたものに少し修正を加えました。まだ加えるかも。