歩くひと_ヒロクレ日記

旅した土地の思いで 子どもと暮らす 日々雑記

玄米エピソード

この地で暮らすようになり、玄米菜食を取り入れながら、無理せず生活している友人と知り合い、興味を持った玄米。

白米より手間隙かかる(し、消化も悪い)けれど、しっかりした味があって、美味しい。

この玄米に関するエピソードを若干。

・江戸時代に精米技術が向上し、富裕階級に白米食が広まることで、富裕層に脚気が蔓延。“江戸患い”と言われるほどだった(以後、大正時代に至って、国民病とまで称されるようになった)。

脚気について、栄養説をとったのがイギリス医学派、細菌説をとったのがドイツ医学派。

・ビタミンの先覚的な業績を挙げたのが海軍軍医の高木兼寛ビタミンB1の単離に成功したのが鈴木梅太郎

・海軍軍医、高木の働きかけにより、麦飯(パン食は軍内で不評だったため、麦飯を採用)をとりいれた海軍からは、脚気患者が減少した。

・陸軍は、海軍の兵食改革(麦飯支給)に否定的で、中でも、森林太郎(鴎外・陸軍軍医・ドイツ留学経験者)らは、麦飯支給に強行に反対。(結果的に、日露戦争では、陸軍から25万人の脚気患者を出した。鴎外は終生、脚気細菌説をとった。)

脚気の原因が解明した後世からの視点によって陸軍の脚気惨害を鴎外が助長したとする説に対し、筋違いであるとの批判と再評価が、近年なされつつある。