竹原_町並み保存地区_普明閣
普明閣は西方寺の観音堂で、明和2(1765)年建立。宝形造本瓦葺きの二重屋根、舞台作り。京都の清水寺を模したとされる。
普明閣からは、竹原の町並が一望できる。
近世より造塩で発展した竹原だが、明治以降はその経済基盤だった塩田をつぶす形で町が発展を遂げたという。現在、塩田は失われたが、近世以来の古い町並みは開発の手にかからず、現在町並み保存地区として残っている。
普明閣は西方寺の観音堂で、明和2(1765)年建立。宝形造本瓦葺きの二重屋根、舞台作り。京都の清水寺を模したとされる。
普明閣からは、竹原の町並が一望できる。
近世より造塩で発展した竹原だが、明治以降はその経済基盤だった塩田をつぶす形で町が発展を遂げたという。現在、塩田は失われたが、近世以来の古い町並みは開発の手にかからず、現在町並み保存地区として残っている。