子ども学セミナー2008 講演会メモ
昨年の11月末に参加した、“子ども学セミナー2008”(“麦わらぼうし”内、麦っこクラブ主催)。
とっくに時効めいた感があるが、自分の生活を考える上で有用だったため、講演会の内容を少々メモ。
柴田愛子さん“子どもと子ども 子どもと大人のいい関係”
○ 2,3歳の子どもは、コミュニケーションの道具として言葉を使っていない。
○ 幼児期の子どもは“ワガママの時代”を生きている。
○ 子どもは今を生きている。
○大人と子どもがバランスをとって居心地よくいられる空間をもつには、密着しない、ほどよい関係をつくることが大切では。
汐見稔幸さん“遊びの中で育つ自己肯定感”
○ 日本では、'80代に打ち出された“車”優先、“資本主義”優先の原理により、子どもが路地(遊びの場・居場所)から追い出されることとなった。
○ 子どもは豊かな遊びがないと育たない。“遊び”には、テーマ(乗り越えるべき目標)があり、達成することで、能力を獲得できる。
○ “自己肯定感”(自尊感情)という言葉は、自我の力、“ありのままの自分でいい”と思うことができる力という意味で使っている。
○ 日本の母親は、子どもの成長についての満足度が低く、子育てが苦痛、自分の思い通りではない育ちをする子どもを受け入れにくい、楽しみが見出せない傾向にある。
○ 日本では子ども自身の自己評価も低く、自信がなく、対人関係を築くのに時間がかかる、他人の評価が気になる姿が見る。これは、幼少期に遊びなどを通して、達成感を得られていないことに起因する。
(以下、詳述)
柴田愛子さん“子どもと子ども 子どもと大人のいい関係”
○ 2,3歳の子どもは、コミュニケーションの道具として言葉を使っていない(お互い、追いかけたり、真似っこしたり、同じ遊びを別々の場所でしていることも…)。
だから“言葉”は、子どもにとってはさほど重要ではない。
大人は“体”“心”“言葉”が密着しているので、自分(大人)が分かりやすいという理由で、言葉に頼りがちになる(だから、子どもが片言でも話し出したらすぐ“言葉でいいなさい”“ちゃんと話して”など子どもに言葉を強要しがちとなる)。
○ 幼児期の子どもは“ワガママの時代”を生きている。
“ワガママ”とは“我が儘”。自分を主張し、自分を中心とする時期。
幼児期は誰もが“我が儘”に生きているから、他の人もワガママに感じていない。
○ 子どもは今を生きている。
大人は先の予測がたつため、先の心配や理想を見て、今の子を育ててしまいがち。
子どもが今、夢中になっていることは、“その子の今”に役立っていること。だから、“こっちのおもちゃでも遊ぼう”と誘わず、“そう、それが好きなのね”とそっとしておくくらいで調度いい。
○大人と子どもがバランスをとって居心地よくいられる空間をもつには、密着しない、ほどよい関係をつくることが大切では。
親(大人)は、子どもが心細い時に、帰って落ち着ける(=本来の自分を取り戻す)場であったらいい。
帰る場所があれば、子どもは再び、子どもたちの輪(社会)の中へ飛び出すことができる。
汐見稔幸さん“遊びの中で育つ自己肯定感”
○ オランダの画家、フリューゲルの絵、“子どもの遊び”を見ると、世界中、似たり寄ったりの遊びが生み出されている。
ところで、このオランダは、子どもの生育環境つくりに関する先進国である。
“チルドレン イン ストリート(路地を子どもに)”という世界的なシンポジウムの開催、国をあげて“ボーンエルフ(居住用の敷地、日本でいう路地)”設置に取り組んでいる。
*ボーンエルフは、住宅街の路地の道筋を蛇行させたり、凸凹をつけ、自動車が速度を下げないと通行できないようにしてあるもので、歩行者と車の共存をはかろうとする道路のこと。
○ 一方の日本は、'80年代から町(路地)に子どもがいなくなった。
“飛び出すな! 車は急に止まれない”
この有名なスローガンが、日本の状況を的確に示している。
“車は…”と“車”優先、“資本主義”優先の原理をはっきり打ち出したことで、子どもを路地(遊びの場・居場所)から追い出すこととなった。
○ 子どもは豊かな遊びがないと育たない。
“遊び”には、テーマ(乗り越えるべき目標)があり、達成することで、能力を獲得できる。また、その獲得した能力を、小さい子どもへ伝えることで、次世代に伝える力となる。
路地から子どもが消えた(=家の中に籠もった)'80年代以降、子どもに関する問題が噴出するようになった。さらに、大人のほうも、路地で遊ぶ子どもの姿を見かけなくなってから、“子どもは遊ぶものだ”という大らかさを無くしたのでは? 現代は、子どもが忌避される時代といえるだろう。
○ 自我の力、“ありのままの自分でいい”と思うことができる力という意味で、“自己肯定感”(自尊感情)という言葉を使っている(これは、色々なことが上手くこなせる、という意味ではない)。
“子どもの成長についての満足度”および“子ども自身の自己評価”を世界各国と比較した表を見ると、共に、日本は他国よりはるかに低い結果が出ている。
まず、子どもの成長についての満足度が低いことから、日本の母親は、子育てが苦痛、自分の思い通りではない育ちをする子どもを受け入れにくい、楽しみが見出せない傾向にあることが伺える。
また、子ども自身の自己評価の低さから、自信がなく、対人関係を築くのに時間がかかる、他人の評価が気になる姿が見えてくる。これは、幼少期に遊びなどを通して、達成感を得られていないことに起因し、思春期以後、社会に出ていく自信がなく、不安感を強めることにつながっている。
(日本社会に特有の現象として“引きこもり”があるが、これは日本社会のシステムが破綻していることを現している。)
昔は、昔は、といっても、時代は戻らない。じゃあどうしたらいいかを考えていかなければいけない。
とにかく、居場所を追われた子どもたちの苦しみを、社会に受け止めて欲しいと考えている。
質疑応答(柴田さん・汐見さんの対談形式)
Q.おもちゃもあるし、作って遊べるような廃材(空き箱、カップなど)も色々とってあるのに、“何で遊ぼう”、“つまらない”といい、遊びが思い浮かばないみたい。(男の子・5歳)
汐見さん:遊びは、学びから得るものだから、1人で作りだすのは不可能です。
昔は、子どもの遊びグループの年長者が教えるものだったのですが、現在は、家庭の中で、親が一緒に遊んでみせたりすることが多少は必要かもしれないですね。
柴田さん:最近、お母さんたちからの質問に、“どうやって遊んであげたらいいかわからない”のだけど“私が遊んであげなきゃいけないから…”というものが増えていますね。
汐見さん・柴田さん:親も出来ないことは出来ないでいいでしょう。親が夢中になるしかない。
汐見さん:以前は、大人が子ども文化に身を寄せるようなところがありました。一緒に歌を歌ったり、仕事の合間にメンコをしたり。でも、今は大人文化に子どもが身を寄せている。大人のするゲームを子どもも一緒にしたり…。
柴田さん:大人の中では“遊び”と“仕事”って別のものと区別されています。だから“遊んであげなきゃ”と仕事のように思うと、遊びって浮かんでこないですよね。
Q.将来的に共感できる兄弟関係を築きたいのですが、今はケンカばかりで、不安です。(男の子・5歳、3歳)
汐見さん:ケンカは、ひっくるめて“まぁこんなもの”でしょう。
柴田さん:“うるさい!”でいいわよ。下手に判断しない。
汐見さん:私が兄弟関係で“共感”と言ったのは、将来的な関係のことで、幼児期のケンカのことではないので…。
兄弟間の“共感”というのは、自分のために他の兄弟が何かをやってくれたという実感を持つことが大切ではと考えています。例えば、自分が風邪で寝込んでいる時に、一緒にいてくれた、とかそいうった体験が共感につながっていくのでは、と。
汐見さん・柴田さん:兄弟ケンカって、誰かいるところでしか起きませんよね。
確かに、他に人がいないところではしないですね。
親は、どうしても解決出来ないときだけ、間に入って話を聞くことをしたらいいんじゃないかしら?
汐見さん・柴田さん:そういえば“親の情”が絡むから、子どもが意識してしまうということがありますよね。
アレルギーとか?
命に関わるものは、情を入れてもしょうがない。“そういうもの”“食べられないの”で十分だと思いますね。
また、兄弟姉妹間の人格形成もしょうがないですよね。
兄弟(姉妹)が複数いれば、性格もそれぞれ違ってきます。
“上にばかりガマンをさせて可哀想”と親が思うと、子どもも“自分は可哀想なんだ”と思ってしまう。
“ガマンできるところはしてね、ありがとう”で十分よね。
だって、そういうものなのですもの。
確かに、日本人はとかく、子どもを減点法で見てしまいますが、加点法でみると悲観しなくていいですね。
Q.障害があっても自然に育つと思いますか?
柴田さん:それぞれの子どもに育つ力があると思っています。実際色々と経験していますが、その年齢によった育ちがあります。
Q.親が仕事で忙しくしているのは子どもにとってどうなのでしょうか?
柴田さん:大丈夫。子どもは自分で育つ力を持っています。
親が四六時中、子どもを見ている訳じゃないですし。
汐見さん:実際、以前は母親も家事労働が大変で、子どもどころじゃなかったでしょう。仕事が忙しければ、家事を手伝ってもらうのも一つの手です。子どもも家族の一員ですから。
また、私は“今風の”子どものひろば(居場所)を作ることも必要では?と考えています。